「丹後物狂」は、天橋立の智恩寺文殊堂で願掛けをして生まれた子どもをめぐるホームドラマである。近くの領主岩井殿(シテ)の一子花松(子方)は成相寺の稚児として勉学に励んでいたが、実家に帰ったとき、雑芸も上手だと聞いた岩井殿が腹を立て、勘当してしまう。花松は海に身を投げたところを助けられ、九州彦山の寺で学問に励んで大成し、説教僧として文殊堂に帰ってくる。そこに子を失って物狂いとなった父親が行き合わせ再会する、というストーリーである。
井阿弥の原作を世阿弥が大幅にリニューアルさせた「丹後物狂」は、足利義満の6回にも及ぶ天橋立旅行、天橋立好きを背景に生まれた曲だろう。世阿弥が最も得意とし、最も上演を好んだ曲の一つである。観世家二代の世阿弥はその子とこの曲を演じたに違いないが、今回は、観世家二十六代観世清和と子息三郎太による上演となる。しかも上演場所は、智恩寺文殊堂である。
文殊堂の文殊菩薩の大きなはからいの中で進行するホームドラマ「丹後物狂」、当の文殊堂での大団円が待っている。
東京大学教授 松岡心平
【「丹後物狂」の特徴】
花の室町時代、日本国王とまで称された三代将軍足利義満がこよなく愛した「能」。観阿弥、世阿弥親子によって大成し、今日では狂言と共に世界無形遺産に登録されている我が国古来の伝統芸能です。その世阿弥の伝書の中で最も多く語られている作品が今回上演する「丹後物狂」なのです。
室町時代には盛んに演じられていた人気曲だったのですが、武将らに“舞”中心の夢幻能がもてはやされるようになってからは次第に廃れ、江戸時代を最後に廃曲となっていました。1986年と2001年、東京で能の研究上演団体「橋の会」が復曲上演。しかし、この2回の上演しかなく、流派の演目として定着するに至っていません。
物狂能は能のジャンルでいうと現在能にあたり、舞中心のいかにも能らしい能にくらべると当時の現代劇に相当するので理解しやすく、現代人にも受入れられやすいのが特徴です。特に今回の丹後物狂は演者は面をつけません(直面=ひためん)。シテの迫真の表情や、子方の愛らしさがそのまま伝わってきます。能=わかりにくいという方にも事前の解説やパンフレットを少し参照すれば誰でも理解できる作品だと思います。
【足利義満と「丹後物狂」】
義満が全国各地を訪れた事はよく知られていますが、その生涯において6回も天橋立に訪れている事はあまり知られていません。当時片道3日と言われる遠方に、なぜこれほど数多く訪れたのか詳しくはわかっていませんが、義満お気に入りの御用役者であった世阿弥が天橋立入りに随行していた可能性を指摘する研究者も多く、丹後物狂は能好き、天橋立好きの義満の為に世阿弥が書き下ろしたのだろうと言われています。
天橋立は「久世戸」、「丸子」、「獅子」、「真名井原」など、廃曲も含め数多くの能作品と関わりがあります。まさに、能のふるさとの一つなのです。
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